研究概要

がんの転移機構の解明から転移抑止療法へ
~核酸医薬によるがんの分子標的治療技術を基盤に「がん転移」を制する

「がん」は転移や再発を繰り返し、最終的にヒトの生命を奪います。そのため、がんによる死因の決定的要因がこの「転移」にあるといえます。私たちは、ヒトのスキルス胃がんの腹膜転移モデルを中心に「がん転移」の分子メカニズムの解明に取り組んでいます。具体的には、スキルス胃がんの患者さんより樹立した種々の細胞株(親株)をもとに、腹膜転移を好発する株(転移株)を単離し、親株と転移株における遺伝子発現の違いや代謝物の違い、或いはタンパク質の生合成量などの違いをもとに、がんの転移を制する標的分子を網羅的に探索しています。見出した分子を標的としたがん転移に有効な分子標的治療を実現したいと考えています。

1)ヒトスキルス胃がんの腹膜転移機構の解明

私たちの研究班は、スキルス胃がんの患者さんから樹立した細胞株(親株: HSC-44PE)をもとに、腹膜転移を好発する株(転移株: 44As3)を単離しました(国立がん研究センター:柳原らによる)。この転移株44As3をヌードマウス胃に同所性に移植すると、ほぼ100%の頻度で大網や腸間膜、壁側腹膜に転移します。また、所属リンパ節への転移(100%)、肝臓(100%)や膵臓(50%)への遠隔転移を起こし、がんを移植したマウスの全例で腹水が貯まります。

図1

このようなスキルス胃がんの腹膜転移モデルをもとに網羅的遺伝子発現解析とmicroRNAアレイ解析を施行しました。その成果の一部を示しますと、腹膜転移株44As3において、細胞外スルファターゼ1(SULF1)の発現が上昇していました。そのSULF1の酵素作用により、Wnt3aやWnt5aのWntリガンドの遊離量が増える(Wnt経路の活性化:βカテニンの核内移行とTCFの活性化まで)ことが分かりました。iTRAQによるプロテオミクスと組み合わせた解析手法により、miR-516a-3pがSULF1を標的としていました。腹膜転移株44As3で発現上昇するSULF1に対するsiRNAのマウスへの投与、或いは、44As3で発現低下するmiR-516a-3pの補充的投与により、スキルス胃がんの腹膜転移が抑制されました。以上、miR-516a-3pの低下→ 酵素SULF1の上昇→ Wntリガンドの遊離から同経路の活性化までのシグナル伝達軸の制御が、腹膜転移の抑制に重要であることを見出しました。

この一連の研究によって見出したスキルス胃がんの腹膜転移に関わるmiRNA群を図1に示します。今後、これらのmiRNAと標的遺伝子の関係を調べ、腹膜転移を抑える「より有効な分子」を特定し、治療応用に繋げていきます。スキルス胃がんの別の患者さんより樹立した親株とその転移株の研究から、腹膜転移が上皮間葉変換(EMT)の支配を受けることも分かりました。このように、スキルス胃がんの腹膜転移は、主にWnt経路による制御を受ける場合、また或いはEMTの支配を主に受ける場合など、患者さんによってかなり多様化した病態であることが推測されます。患者さんごとにより有効な治療軸を判定して治療に臨むことが今後、重要になると思われます。

これらの知見は、卵巣がんや大腸がんなどの腹膜転移を起こしやすいがんにも応用可能です。すでに腹膜転移が起きてしまっている症例に対する新しい治療法の開発も急務と考えています。最新の成果について、随時、公開していきます。

2)がん転移の標的探索を目指したメタボロミクス・アプローチ

スキルス胃がんの腹膜転移モデルにおいて、単離した転移株44As3とその親株の比較形式で、メタボローム解析を施行しました。メタボローム解析により、細胞が代謝(生命活動)によって産生する多種多様な有機化合物(代謝産物)を網羅的に定量解析することができます。私たちは、LC-MS法やCE-MS法を用いて、スキルス胃がんの転移に特徴的な代謝物ならびに代謝経路を複数個、同定しました。転移を起こすがん細胞の「息づかい」を深く理解し、「がん転移」に特異的な代謝経路の主軸酵素をsiRNAで阻害分断することによって、腹膜転移を抑制することに成功しました。

3)生体高分子アテロコラーゲンによる核酸医薬のがん特異的送達

核酸医薬(siRNA/miRNA)を用いて、「がん転移」の抑止を動物個体レベルで証明するためには、これらの核酸化合物をがん部位に特異的に送達する技術が必要不可欠です。がんの転移は全身で起きるので、その送達経路は、静脈内投与や腹腔内投与などの全身性投与がより適しています。siRNAやmiRNAなどの核酸化合物は生体内での安定性がとても悪く、またその反応機序上、標的細胞の中に取り込まれることが要求されるため、特別なデリバリー技術を必要とします。私たちは、核酸医薬アンチセンスDNAの時代から、生体高分子アテロコラーゲン(図2)を用いた核酸医薬のin vivo デリバリーに取り組んできました。現在までに、siRNA/miRNAの核酸化合物をアテロコラーゲンと複合体化し、この複合体を全身性に投与することにより、がん部位に特異的に送達させ、がん細胞に取り込ませることにおおむね成功しています。すなわち、同複合体の静脈内投与によるsiRNAの腫瘍特異的デリバリーとそのRNAi効果による抗腫瘍作用を獲得しました(図3)。この成果は、がんの転移を標的とした核酸医薬の開発にとって、とても重要なプログレスとなりました。血中に投与されたsiRNA・アテロコラーゲン複合体は、正常組織に比べて血管透過性がより亢進した腫瘍組織に集積します。これをEPR効果といいます。EPR効果により、腫瘍に集積したsiRNA複合体がどのようなメカニズムで最終的に腫瘍細胞に取り込まれ、かつ機能するのか? 現在のところ未解明です。腫瘍細胞におけるsiRNA複合体の取込機序の解明に力を入れて研究を進めています。

図2図3

4)再生医療研究とがん幹細胞研究の融合

iPS細胞(Induced pluripotent stem cells;人工多能性幹細胞)の成果により、終末分化した細胞を初期化できる時代になってきました。がん組織は、ヒエラルキーが低い(=階層順位の低い)「非がん幹細胞」とヒエラルキーが高い「がん幹細胞」からできていることが分かってきました。この「がん幹細胞」の制圧が、がんの再発や転移を抑える上で、とても重要です。私たちは、「非がん幹細胞」を材料に、これをどうすれば、「がん幹細胞」に変化させることができるか? 主に細胞の初期化活性を有するmiRNA探索を中心に、その分子メカニズムの解析を行っています。得られた知見は、「がん幹細胞に特異的な治療」、「がんの再発・転移の抑止」に役立ちます。また、「がん幹細胞」に特異的な薬剤送達を可能にする用途で「がん幹細胞」に特異発現する細胞表面タンパク質を多く見出しています。このように、「幹細胞の生物学」の概念を実験技術に取り入れながら、新しいスタイルのがん研究に取り組んでいます。

5)正常幹細胞を細胞製剤とした新しいがん治療

脂肪組織由来間葉系幹細胞(Ad-MSC)は高い分化能を有し、脂肪組織に大量に存在します。私たちはAd-MSCを基盤とした再生医療への応用研究の過程で、偶然にも、この細胞が前立腺がんの増殖抑制に有効であることを見出しました(名古屋大学医学部・泌尿器科と共同:特許取得)。Ad-MSCを細胞製剤としたがん治療のアイディアは、他に前例がなく、まったく新しいがん治療のスタイルです。がん患者さんの自己皮下脂肪組織から得たAd-MSCを、その患者さん自身のがんの治療に使って、治療効果を狙います。自身の脂肪組織を使うため、拒絶反応の心配がありません。しかし、なぜAd-MSCに前立腺がん抑制作用があるのでしょうか? これまでに、両者の細胞どうしの接着相互作用がこの効果獲得に重要であるという知見を得ていますが、詳細については未解明です。Ad-MSCと前立腺がん細胞の細胞間相互作用の分子メカニズムを解明し、標的分子を特定することができれば、新たな分子標的治療研究に発展すると思います。

6)ゲノム編集技術CRISPR/Cas9を基盤とした新しいがん治療

CRISPR/Cas9によるゲノム編集技術は、古細菌などが有している外来の核酸分子(ファージゲノムなど)を排除するための獲得免疫システムを利用したものです。概念上、真核生物のRNA干渉に類似した生体防御システムとも解釈できますが、その分子メカニズムはRNA干渉とは明らかに異なります。哺乳動物の細胞でもこのシステムが有効であることが分かり(サイエンス誌:2013年1月)、広く認知されるようになってきました。

CRISPR/Cas9システムは、ゲノム中で切断したい領域を自由に切断可能な遺伝子改変ツールです。これまでに報告のあるZFNやTALENに比べて、簡便なところが優れています。切断したい標的塩基配列を含むguide RNAとCas9タンパク質を同時に発現させることで、ゲノム上の標的配列部位を切断します。私たちは、このCRISPR/Cas9システムによって、がんの標的遺伝子を負に制御し、がん治療に結び付ける戦略で研究を進めています。すでに複数個のヒトのがん標的遺伝子について、guide RNAを設計し、CRISPR/Cas9によるゲノム編集が有効であることを確認しています。

CRISPR/Cas9システムにおいて、変異導入率が低い点、オフターゲットの問題など、課題も多くありますが、今後の研究展開で解決できると思います。私たちが有するin vivoにおける遺伝子導入技術を活用しながら、分子生物学の最新の技術をヒトの治療に繋げていきたいと考えています。

 

以上、6つの項目に絞って、研究内容をご紹介しました。その他の研究内容についても、今後、論文公表のタイミングをはかりながら、ご紹介できればと考えています。